昨日申込みが始まった富士チャレンジ200ですが、ソロ200/100Km共に21時には申込みが締め切られていましたね。乗鞍HC、富士スバルラインHCと共に参加することすら難しいイベントになってしまったようです。

その一方でこれらの有名イベント以外のレースは参加者が集まらない状況に拍車がかかっています。
今週末に同じ富士スピードウェイで行われる市民レースは募集人数が富士チャレンジよりも大幅に少ないにもかかわらず申込締切の1週間前でも余裕で参加申込が可能だったし、今年の栂池HCも市民レースは昨年から100人も参加者が減ったと聞きます。
一般的にバイク、ショップ選びや練習方法についても雑誌やメディア露出の多い方向に何も考えずに流されていく傾向があって複雑な気持ちがあるのは事実。


そんな中、全く偶然なのですが、ほぼ日刊イトイ新聞で糸井氏がブームになったモノとその後について"今日のダーリン"というエッセイ?で書いています。
バックナンバーが後から見ることが出来るのかわからないので、今日の分をコピペした文章をそのまま転載します。


・ボーリングという遊びを知ってから、
 ずいぶん年月が経ったという気がします。
 自分がまだ小さくて、
 ボーリング場に出入りできない時期があって、
 日本全国ボーリング場だらけの大ブームがあって、
 「ああいうプロと素人の差のつきにくいゲームは、
  すぐ飽きられて一過性の流行で終わる」と言われ、
 すっかり流行らなくなりました‥‥とは言えないんです。
 いまも、テレビ中継もあるし、
 ボーリング場はすっかりなくなったわけじゃないし、
 男子や女子のプロ選手もいるようです。
 たぶん、かなり多くの人が、一回や二回くらいは、
 ボーリングを経験していますよね。
 
 「すぐ飽きられて消えちゃう」のではなく、
 ある一定の薄さで、ずっと残っているんですよねー。

 これまでの、大量生産&大量消費の時代には、
 「大量のファン」に強く注目されてないものは、
 消えただの終わっただのと考えられてしまった。
 「マスをつかめぬものは、存在の意味がない」
 くらいのことを思われていたんです。
 しかし、そんな「大量にあらずんば無」みたいな
 粗暴な価値観のほうが、ほんとはおかしいですよね。
 ボーリングは、無ですか?
 無じゃないし、それなりに楽しんでる人たちがいる。
 おそらく、それで商売になっている人たちも、
 それなりの数だけ存在していることでしょう。
 
 こういう感じが、
 これからの時代のイメージなんじゃないかなぁ。
 ぼくには、そう思えるのです。
 ボーリングにしても、卓球にしても、囲碁にしても、
 すぐに思いつかないさまざまな趣味や遊びについても、
 たとえば、日本中で3万人の愛好家がいたら、
 それはそれなりに成立するんじゃないでしょうか。
 (3万人というのは、野球場の入場者数のイメージです)
 
 金メダルしかほしくないとか、一位の一人勝ちだとか、
 決意表明としてはおもしろいけれど、
 それなりに多くの参加者が楽しめるゲームのほうが、
 もっと豊かなんじゃないのかなぁ。

長期間マスに訴え続けることの難しさを知り抜いているはずの糸井氏が書いたこの実感は非常に重みがあると感じます。


自転車ブームと言われてしばらく経つのですが、あのサッカーでさえメディアが作り出したブームを維持できない現状を考えると、自転車への注目も数年で沈静化する可能性が高いような気がしています。
沈静化した後に起こるであろう停滞期に向けて危機感を持って色々考えて動いている人がいるみたいですけど、本当に自分がやりたいことを見つめて実行していけば、誰かがそれを支持してくれるのかもしれないな。
その時に自分が何をしているのか、何が出来るのかを常に意識したいと思っています。